こんばんは!立て続け過ぎているmarimoでございます。
オイオイ!ビジログを映画レビューブログに変身させるつもりか?と呆れられそうだけど、今日もひとつ、お勧めの映画...もとい、テレビ番組DVDをご紹介したいと思います。
これ、最高!!私、むっちゃ好きです、このドキュメンタリー。
イギリスで国民的に人気のあるシェフ(TVにもよく出てるらしい)のジェイミー・オリヴァーが、あまりにも酷すぎる学校給食を改革しようと政府や学校、給食のおばちゃん、そして何よりジャンクフード好きな学生たちと闘う、バラエティ番組。
まず驚くのは、ジェイミーが最初に手をつけた地区の給食があまりにひどいこと。
ちなみに今日、イギリス人の友人に、「イギリスの給食ってあんなにひどいの??」って聞くと、地域によって偏るから・・・と、なかなか頷きも否定もしませんでした。
そのフィルムの中では、ピザ、ハンバーガー、ソーセージ、ポテトフライ、フィッシュフライ。しかもどれもが素材の原型を一切とどめてないぐらい加工しつくれたものばっかり。まともな野菜はゼロ。
ジェイミーはそんな給食の酷さを嘆き、ある学校に乗り込んで自分が作った健康的な給食のレシピを浸透させるべく、自らも給食のお兄さんになります。
許される予算は1人分わずか80円。給食のおばちゃんは仕事が増えるばかりだと文句を言うし、子供たちはジャンクのほうがいい!と料理を捨てられるし。
あまりに厳しいスタートではあったんだけど、ジェイミーはその学校に留まらず、少しずつ、イギリス全土の給食を変えてみせる!!と孤軍奮闘します。
わずか数日間、ジャンクフードっ子がジェイミーの給食を食べただけで、情緒が安定し、集中力が増した...など、心身にも変化があったっていうからすごい!食べ物ってどんなに大事なのかを再認識しました。
これって、「食育」そのもの。
すっごくためになると思うし、さらに、笑えるシーンも、泣けるシーンもあるから、誰もが楽しめると思う。
「食」に興味のある人みんなに勧めたいDVDです。
marimoです。そろそろ疲れてきたので、今日のところはこれで最後にします![]()
FGMの問題にふれたとき、必ずといっていいほど、出てくる映画のタイトルがこれでした。
ようやくDVD化して、観れて良かったです。
古くからの風習が良くも悪くも色濃く残るアフリカのとある地方で、今も続く女性器切除(FGM)の習慣。
4人の女の子たちが、切られるのがイヤで主人公の女性のもとへ逃げてきたところからストーリーが始まります。
彼女たちを、かくまうこと。これが、原題ともなっているMoolaade(モーラーデ)。保護とか避難させる、聖域...などの意味をもつそうな。
この映画は、2つの相反する風習が軸になっていると、私は思う。
一つは、FGM。
もう一つは、Moolaade。
前者は女の子を、そして彼女の一生をも傷つける、命をも奪うかも知れない風習、
後者は、宣言したその瞬間から、自ら聖域を作り他者を保護することができるという風習。
風習や葛藤を、単に非難したり善悪の別を付けるんじゃなく、淡々と、かつリアルに描けたのは、やっぱりアフリカ人監督だったからかも。
そう。人ん家の風習を非難する資格なんて、誰にもないのよ。ただ、それでもやっぱり、FGMはやめて欲しい。
へへっ。まだまだmarimoです。
タリバン政権下のアフガニスタン。
女性は夫など身内の男性に伴われてでないと、出かけることさえ許されない。つまり、夫や父を戦争で亡くした主人公のような家族は、飢え死にするしかない。だって働くにも外に出かけられないのだから。
少し前に観た「カンダハール」同様に、全身をブルカで覆った女性たちの姿には、やっぱり違和感を覚えずにいられない。
主演は、3000人以上もの女の子のなかから選ばれた。監督が偶然、ストリートチルドレンとして物乞いをしていた彼女に見惚れ、出演を打診したのだという。他の出演者も、ほとんどが、難民キャンプや学校、道端で出会った素人。そんな情報を知らなかったら、決して素人だなんて思えないぐらい、みんながみんな、演技が上手。
なんでここまで上手に、悲しい目ができるんだろう...。
なぜなら、これが今のアフガンの現実だから。監督がインタビューで言っていたんだけど、最初は短編を作ろうとしてた。現実の話をどんどん加えていったら、いつの間にか長編になった。と。
女性たちは叫ぶ。「私たちは政治的なことを訴えているのではありません。ただ、食べ物が欲しいのです!」
もうひとつ、監督の言葉。
「この映画の少女はアフガニスタンの悲劇そのものなのです。
そして、世界がアフガニスタンを忘れれば、
悲劇は再び繰り返されるかも知れません。」
marimoです。まだ、あります![]()
何年も前、何となく手にした本「ミュータント・メッセージ(著:マルロ・モーガン)」で、オーストラリアの原住民、アボリジニを知った。
その本の中では、アボリジニのスピリチュアルなパワーをポジティブに描かれてたように記憶している。
そしてこの映画は...。白人至上主義によって家族と引き離され、隔離され、奴隷として白人に仕えることを強いられた、悲しすぎる歴史。
少女は隔離されていた施設から命からがら脱出し、1500マイルもの距離を歩き続けて母の待つ故郷を目指す。
ただ、淡々と。
彼女たちが歩き続ける時の流れが描かれ、エンディングへ...。それでも全然退屈な感じがしないのは、真実の話だからかな。
本編が終わって安心したのもつかの間、エンドロールで本物のモリーとデイジーが登場。しわくちゃになったモリーたち。1500マイルのあと、さらに過酷な人生を過ごしてきたその真実に、胸が詰まった。
marimoです。いやいや、一応、ゆっとかないとね![]()
久しぶりに、ダウナーになる映画(ドキュメント)を観てしまった。なんで観てしまったんやろ?そんな気さえ起きるほど。残酷なシーンが苦手な人はやめといたほうがいい。
「忘れられた子供たち~スカベンジャー」の続編。
確か、ずいぶん前に↑これも観た記憶があるけど、今回ほどすさまじくなかった気がする。
舞台はフィリピン・マニラの巨大ゴミ捨て山。(有名なスモーキーマウンテンは閉鎖されたので、このドキュメントのんは「パヤタスゴミ捨て場」。第2のスモーキーマウンテンって呼ばれてる)
映し出されるのは、そのゴミ捨て場に暮らす人々の姿。ほとんどの脚色も凝った映像もなく、淡々と撮っている。
撮影中に起きた不幸な事故。
大きな崩落があって、あまりに多くの人がゴミの中に埋もれて亡くなった。真っ黒に焼け、雨にさらされる遺体。家族がまだ見つかっていないと叫ぶ人たち。
はっきりいって映像もきれいなはずがなく、さらに人(特に子ども)が苦しんでる姿を観て、何とも言えず、ひたすら心が痛い。
さらに私をダウナーにしたのは、画面の中の会話。
水頭症で起きあがることさえできない我が子に、ゴミ捨て場が閉鎖され収入源を失った母親が、「お腹すいたかい?」と聞く。子どもが「うん」って言うと、「我慢できないかい?」。そのあとも「歩きたいかい?」「友達と遊びたいかい?」とか。とても穏やかに聞いてるけど、なんて残酷な質問。
ほかにも病気の女性に、「手術は受けるのですか?」。
手術どころか、治療費も、薬代も払えないぐらい貧困なの分かってるのに。
監督の思惑...??まさかね?でもこれが日常なのかな...?
marimoです。しつこいぐらいに...。
道徳的?
それとも非道徳的?
子どもに見せるべきか否かメディアでも大きく取り上げられた映画です。
お金を奪うために、平気で人殺しまでしていた主人公のツォツィ(不良っていう意味)。
奪った車にたまたま乗っていた赤ちゃんを世話する間に、彼自身の幼い頃の心の傷に触れ、そして変わってゆく。
別に、とりたてて道徳的とも思えない。でもギャング映画っぽくて、そういう世界に憧れがちな若者に見せるにはいい映画なんじゃないかな?
もし私がこの映画を子どもと観るなら、まず、人殺しや強盗が日常的に発生するスラムってのが存在すること、心の傷や生活環境は、人の心をこんなにも残酷に育てあげることもあり得る...ということ。
日本とは違う世界のことを、同時に伝えておきたいと思う。
marimoです。ここまできたら、言う必要もないほどだけど...![]()
『21g』『バベル』のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作品。
『21g』はイマイチ入りきれなかったんだけど、この『アモーレス・ペロス』は一気に観てしまって、睡眠不足+深夜~早朝の時間帯だっていうのに、完璧に目が覚めちゃったよ!明日、居眠りせぇへんか不安だわ。まったく。
物語の展開は、いかにも『バベル』と同じ監督!って感じせる複数の物語が同時進行して、互いに複線になってかかわり合う...っていう展開(バベルほど何回も行ったり来たりはしないけど)。
さらに'やるせなさ'がテーマになっているところも同じ。
血なまぐさいシーンもあって決して楽しく観れる映画じゃないけど、私は好きだなぁ。
ガエル君も相変わらずかっこいいし。あ、お兄ちゃん役の人も好みだわ。
バベルもそうだけど、人生って、たった一つ歯車が狂っただけで、おかしな方向へ転がってしまう。人間の弱さが、巧みに描かれてました。
marimoです
次、いきます!![]()
戦争映画は好きじゃない。
でも、この「ノー・マンズ・ランド」は戦地が舞台になってはいるけど、人と人、人と立場の戦いを描いたヒューマンドラマのように感じる。
舞台は1993年、ボスニア紛争のさなか。
ボスニアとセルビアの中間地点、「ノーマンズランド」に足を踏み入れてしまったボスニア軍の兵士たち。
映画が始まってすぐセルビア軍の攻撃が始まり、仲間はあっという間に殺されてしまう。
唯一の生存者、チキは塹壕に身を隠し、皆死にしたかどいかを確認しにきたセルビア兵の2人とはち合わせる。
一人はベテラン兵。死んでいた(実は気絶していただけで生きてた)チキの仲間の身体の下にジャンプ型の地雷をニヤニヤ喜びながら仕掛けるっていう、ヤな奴。彼はすぐチキに殺されちゃうんだけど。
そして残った新米兵士とチキの、2人っきりの戦争が始まる。
銃を構えながらお互いを罵る。「戦争を始めたのはお前らのほうだ!」「俺の村はお前らに焼かれた」...。
戦争がどれだけ空しいか。ただ、傷つけあってるだけだってことが、たった2人の会話からメッセージとして伝わってくる。
監督がこの戦争に参加したことのある人らしいんだけど、あえて中立の立場で描いたってのが、この会話からも見て取れる。
中立を建前に、争いにできるだけ深入りしたくない国連と、事態を嗅ぎつけ、半ば強引にスクープを撮ろうと群がるマスコミ。
チキたちを助けようとしたのに、上からの命令で撤退を余儀なくされる国連軍の兵士。
「戦争に中立などない。傍観しているだけで、参戦しているも同じだ」
小さな小さな塹壕を舞台に、派手な演出も行き過ぎた英雄ドラマもなく、ただ淡々と、戦争の虚しさだけが語られてゆく。
marimoです。まだまだいきます!![]()
次は、ちょっと心温まるイランの映画。
お兄ちゃんアリは、何度も修理を繰り返したであろうボロボロになった妹の靴を失くしてしまう。
親に見つかったら怒られる!と、一足しかないお兄ちゃんの運動靴を兄妹で共有して、なんとかやり過ごしていた。
教会でお茶汲みの仕事をするお父さん。家ではとても厳しく、絶対的な存在。一方、お母さんは病気を患っていて、兄妹が家事を手伝っている。
そう、この家庭にとって、靴1足を買うのはすごく大変なこと。だからこそ、兄妹は靴を失くしたと言えない。
お父さんが、やったこともない庭師の仕事をして儲けてやろう!とアリを連れていった高級住宅地・テヘランでのこと。お父さんはインターホン越しに喋ることさえままならず、あまりに情けない姿なんだけど、だからといって息子アリは馬鹿にすることも同情することもなく、お父さんを支えようとする。
あぁんっ、なんて素直なんだろう。。
そしてお兄ちゃんアリは、妹のために走り始めた!妹に靴をあげたい一心で、靴ずれやマメや傷にまみれた足のまま、マラソン大会の3位になることを目指して必死に走る。
marimoです。続き、いきます!
『モーターサイクル・ダイアリーズ』のウォルター・サレス監督作品。
父・母・兄・弟の4人家族。長男は亡くなって居ない。
なぜなら、近隣に住む別の家族と、あるルールに従って「殺し合い」をしていて、長男は既に犠牲者になってしまったから。この殺し合いは、「必ず、1人ずつ」「シャツの血が黄ばむのを待て」というルールに基づいて進む。
サトウキビの加工で何とか食い継ぐ一家。過酷な肉体労働を、「昔は奴隷がやったのに」と、奴隷制度崩壊によって苦しい生活に追いやられたことへの恨みを口にする父。
本作の語りべでもある弟は、親から名前さえ付けてもらっておらず、「坊や」と呼ばれている。
シャツの血が黄色くなったころ、兄は敵の一家のもとへ潜入し、一人を殺す。
・・・と、ここまでは「なんで殺し合う?」と、私の頭の中では「?」がいっぱいで、共感どころは見つけられなかった。
お兄ちゃんが戻ってきてからが、映画の本編のような気がする。
お兄ちゃんが村に巡業で来ていたサーカス団の女性と恋におち、「坊や」はお兄ちゃんが幸せになることを素直に望む。
お兄ちゃんが女性と村から逃げたときには、ホッとした。これで、殺し合いの連鎖が止まるのかも...!
でも、なんでかな、お兄ちゃん、戻って来ちゃったもんね。
自由になることを選べない、理由も分からないまま傷つけあうことを課せられて生まれること。
「因縁」ってもんを感じさせられる映画だった。
marimoです
新年早々、映画レビューを連打してみたくなりました。
まずは、ブラジル映画の「バス174」。
2000年6月、実際に起きたバスジャック事件の全容に迫ったドキュメンタリーフィルムです。
舞台はブラジル・リオデジャネイロ。
ストリートチルドレンとして、社会から「不要なもの」として排除され続けてきた青年・サンドロ。
彼は11人の乗客を人質に立てこもり、ガラス張りの密室の中で乗客たちを脅す。(が、最初から誰かを殺したり傷つけようという意思はない)
他にする仕事がない人が警官になる、と言われるほど、警官の数があふれていた。そして彼らはロクな訓練も受けていない。当局がまったく統制がとれていなかったお蔭でマスコミはバスの間近まで近づき、犯人の声をはっきりと拾えるほど。
この監督は、なんて編集能力のある人なんだろう。
ドキュメンタリーのメッセージ力の強さはもちろん、フィクションさながらのストーリー展開もあって、見ている者を飽きさせない。
フィルムはバスの様子を混ぜつつ、ストリートチルドレンたちを警官が次々と殺した「カンデラリア惨殺事件」の全容や、このバスジャックの人質たち、元&現ストリートチルドレン、警察官、人殺しもいとわないプロの強盗、社会学者、サンドロの叔母、ソーシャルワーカーなど、幅広く多様な人々のインタビュー(証言)が収められている。
権威は無条件に敵視してしまいがちだけど、このフィルムのなかで最後の警官たちの行為は、明らかにおかしい。憤りを覚えた。